あちらにいる鬼
読みたいなと思っていたのをすっかり忘れていたことを、映画化したというニュースで思い出しました。
映画が先か小説が先か。やはりそこは小説でしょうと読み始めたら、今度は瀬戸内寂聴さんの運勢の変転が気になってまう占い脳。
占い→小説→映画になりそうです。
女性作家がある男性と出会い、その数年後に出家。
この物語をそのまま読むのであれば、「あぁ、よっぽど悪い男だったのね」とか、「人生イチの大恋愛だったんですね」ということになると思うのですが、
占ってみるとたいていの場合そうではないんです。
出会った人からの影響によってその後の人生が大きく変わったのではなくて、
ご自身の運勢が変わるタイミングで、たまたま居合わせた人だった。
あえて被害者・加害者という言葉を使うのなら、お相手に対してではなく ぜんぶ運勢のせいだったりして、
こちらが抵抗するのを無視して、激しく押し流しながら、「で?あんたどうすんのよ これから」って問うている気がするんですよね。
人はいつも運勢に試されている気がする。
瀬戸内寂聴さんは生まれてからほぼ一生涯ずっと、運勢は高いところにあり、
このブログでよく言う表現ならば一生芸能人、現実のような虚のような、「ぶっ飛んでいる」運勢をお持ちでした。
今よりずっと抑圧されていたであろう時代に、宿命に沿ったライフスタイルが得られなければ、恋愛や男性に救いを求めてもおかしくないし、そうしなければ生きることが難しいぐらい。
恋愛を求めて止まなかったのではなくて、あの時代にどこか、深く呼吸できる場所を探していたのかもしれないな、
そんな風に思うのでした。
小説の世界にどっぷり浸って、その余韻のまま映画を観てきます。