あぁ、挑戦したい。
で、何を?
って後付けで考えている占い脳です。
本来プロセスであるはずの挑戦が、主目的になっております。
これね、理由はわかっているんです。
ここ数か月、私の関心事の推移は、
風水・掃除・断捨離ブーム→
ミニマリストさんの書籍・動画をみて開眼→
モノが減ってスッキリしたら、食べる⇔カロリー消費の燃費の悪さに気づく→
意識的に飲食し、より動くことをやってみる→
依存・中毒性の高いこと、食品からの離脱を図る→
少し前から気に病んでいた人間関係が改善した→
こだわっていたことからの解放。これからどうする?
と、こんな感じになっていて、かなり強引ではありますが開運しているとこじつけております。
先日読了した ドーパミン中毒 にもありましたが、
依存・中毒・こだわりから離れてシラフになると、人生の意味や目的、テーマという大きな問題に直面する感じになるんですよね。
いい意味で周囲からの刺激に鈍感になれたりもするので、新しい考えを育てるスペースが確保できるようになったりもします。
いくらなんでも挑戦がすぎる記事をガン読みもします。
円安・インフレ・増税まったなしの諦め感も、挑戦意欲の後押しになっているのかもしれません。
逆に言うと、依存・中毒・気に病んでいることは、
立ち止まらせている理由になっていたんだなと気づきます。
ご相談を受け、寄り添っていくことが常な占い脳ですが、
私自身は年々どんどん簡素になっていくわ、恐ろしいほど諦めがよくなっているわで、これが占い師としていいのか悪いのか、
もっと多感な頃のほうが、おもしろい占い師だったのかなとか、思わなくもなかったりします。
前述した“少し前から気に病んでいた人間関係”も、快方に向かったのはたまたまのことで、特に何もしないようにしていたんです。
自分自身、ひとりで完結することなら何ひとつ迷うことなく実行するほうなのですが、相手がいることはそうはいきません。
人間関係が悪化してしまったら、まず受け入れそのままにしておくのがベストだと、再認識した経験になりました。
理不尽だったり不条理だったりで、けっこうなストレスにはなりますが、
全部 諦めていったん悩みから離れることで、関係がより悪化することは防げたようです。
物理的に離れられなかったら、そこから意識を離すように頑張ってみる感じです。
運勢が変わり、ムードが変わるのをじっと待つ。
小室圭さんだって祝福の嵐ではありませんか(そうじゃない)
そうそう挑戦ですよ。
このブログで無料でお悩み相談みたいなことを始めたいなぁ、なんて思い立ったのですが、いかがでしょうか。
そういうセンシティブなことはもう少しクローズドな場所のほうがいい気もして、相手があることは悩ましいところです。