10月からの日曜劇場では、香川照之さんの代役をオダギリジョーさんがされるとのことで、
このお二方のお名前が並ぶと、すごかったなぁ、とまた観たくなったのが映画“ゆれる”です。
東京で成功している写真家の猛(オダギリジョー)と、地元で家業を継いでいるその兄 稔(香川照之)と、幼なじみの智恵子(真木よう子)の三人の間で起こるミステリーでサスペンスな展開、そこには恋愛も兄弟愛もあるのですが、
写真家 猛から ほとばしるモテっぷりの破壊力と、陰キャを極めた稔、そこに挟まっている美智子、それぞれのキャラが立ちすぎていて 胸が痛くなりました。
にしても、薄々気づいてたけど恋愛って残酷だよねと思い知らされた作品です。
観ていて辛くなること この上なかったけれど、監督も脚本も西川美和さんですからね、もうそれはしょうがない。
あんな圧倒されまくりな作品があると思うと、
香川照之さんをテレビで観ることがなくなってしまうのだとしたら、とても残念に思うと同時に、
オダギリジョーさんをドラマで拝見するのは、かなり嬉しいこの感じ、複雑な気もちです。
オダギリジョーさんは1976年2月16日生まれ。
山の星のひとで、ハートの星は革新です。
コツコツと積み重ねていくことと、それを何のためらいもなく壊せること。この矛盾した星の才能、ミステリアスと書いてオダギリジョーと読む。
山の星のひとは、スターだと思っています。
人気や人望を、スーーーーっと集めてしまう存在で、あくせくバタバタしなくても、そこにいるだけで愛し愛されてしまう。
強烈な魅力って、二通りあると思うんです。
前述したように、そもそも愛の存在の人と、
それとは逆に、内側にあるものを出す、表現することで魅力を発揮する人。
呼吸のように吸う人なのか吐く人なのかの違いがあって、そこには絶対に他者が必要になる星の人がいる。
ですがオダギリジョーさんはちょっと違う。
愛も人気も財も 集めたいし集まるけれど、それでよしとはしない。
積み上げては崩し、集めては形を変えて、どこまでもオリジナルのものにしてしまう。
愛も人気もあるけれど、他者をまったく必要としない個人の絶対領域があったりして。
そんなのすごく見たくなるじゃないですか。
だけど、見て、触れてしまったら、“ゆれる”の美智子のように、深いところに堕ちてしまう気がする、こわいこわい。