寄り添いたいし、寄り添われたいなぁと思うこの頃です。
占い師として、これが私は致命的に苦手なことを自覚しつつ、そんな人間関係を作れたらなぁと、憧れるような気もちで日々鑑定しています。
占いに否定的な印象を持っている人に「なんで(お客さんは)自分で自分のことを決めれないの?」と聞かれたことがあります。
うーん、その発想はなかったかもで、
なぜならその悩みに答えがあるとしても、それを私が決めたことはないからです。
人が悩むとき、たいていの場合、頭と心それぞれの行きたい方向が反対を向いていることが多くて、
やるべきことは分かっているのに、気もちがそれに従えないわけでつまり、悩みの答えは出ているけれど受け取れない。そういう状態にあるわけで、それを決めるとか、釈迦に説法すぎる。
スッと受けとるにはしんどすぎることが、人生にはいっぱい起こるわけで、
ITの社会になってもそれは変わらず、“私の人生の謎”は検索しても出てこない。
3000年、4000年とも言われている途方もない時間、超古代からその謎に法則を見出し研究し続けた東洋人がいたわけで、それは令和の現在でもアップデートされ続けていたりします。
体の不調に病名が与えられると、嬉しくはないけれど どこか安心できるように、
人生に壁が現われたとき、その種類と期間を知るだけでも、少しは納得できるのかもしれないと淡い期待をもちながら、今日もまた万年暦を開いています。