宇野千代さんの 色ざんげ を読んでいます。
書店で見かけて素通りできない濃いめのタイトル、瀬戸内寂聴さんの 花芯 とか、あんな感じなのかしら どうなのかしらと思っていたら、
ドラマ 昼顔の脚本をNetFlix 韓国ドラマ制作陣が10人がかりで書いたんか、っていうぐらいおもしろいです。
めくるめくるどんどんページは進むけど終わらないでお願い、って感じになっています。
なのに占いたい、なんて悲しい性。
だって、ざっくり検索しただけですがどうやらこの物語はノンフィクション。
この小説にあるまんまの、すったもんだの恋愛直後の東郷青児さんを、宇野千代さんがインタビューに伺い そのまま同棲を始め、その生活の中で聞いたことを小説にしたと。
いろいろ理解が追いつきません。
小説の中でこんなにも目いっぱい生きている登場人物だって、もう誰もこの世にはいない、けれどこの本が残ったわけで。
気が違っているレベルで色恋の因縁を背負っているようにみえる男の一生に、気がつけばうっかり心奪われている自分がいて、小説家ってすごいです。
東郷青児さんはどれだけ女好きなんだと思ったら、ぜんぜんそんなことはなかった。
愛人の星もなく、それを追い求める星もありません。女性の星は正妻ただひとりだけ。
確かに、小説でも出会った女性を片っ端から口説いている感じではぜんぜんなくて、興味本位にどこでもノコノコついて行って、気づけば沼に落ちている感じはこれかと。
親分肌で一本気、困っている人は放っておけない人情家だけど、あれこれ考えまくって何にも行動できなかったりして、この情けないところがちょっと憎めなくもあって。
宇野千代さんもこんな気もちだったのかしら。
そんな陽キャにみえて陰キャな東郷さんの運勢がいきなり舞い上がったのが、1925年からで、情死未遂事件をおこすのが1929年、分かります、しみじみするぐらい運勢です。
だってその急上昇した運勢のテーマになっているのがまさに恋愛で、そうなんですよ、恋愛の答えを本能が求める気もちも分かるんですけど、大恋愛が過ぎますって。
火の星(太陽・炎)の人は特に、恋愛で自身が大きく変化しやすいのですが、それにしてもです、これぞ芸術家なのでしょうか。
今 生きていたら宇野千代さんは、ちょっとだけ壇蜜さんみたいなタイプだったのかな、いや、大竹しのぶさんみたいかもなんてふと思いました。
この時代に攻めの姿勢でセクシーにたくましく自立している感じ、ちょっとハマってしまいそうです。